演奏会を終えた感想と、今後の楽団に求めること
演奏会を終えて
色々と詰めた3か月間が終わった。
相変わらず、他の予定をこっちに割いてやっているだけに、終わった後の喪失感が大きいです。
喪失感の大きさは、満足感とも比例するところはあるんだろうけれども。
やっているときは大変だと感じていても、終わってみると楽しい日々だった、ということは往々にしてありますね。
今回はまあ、一曲目のソロがうまく言ったんで良しとしましょう。
トランペット吹きとして、一番重要な仕事をきっちりやったということで。
翌日は有休をとっていたけれども、酔っていたのか終電ぐらいで帰ってしまった。
朝まで飲んでいる人もいなさそうだったしね。
翌日の休みは、なんだか気の抜けた日を過ごしました。
マンガ読んで、テレビ見て。
録音聴いてみたいな、とか考えながら、寝っ転がって過ごしました。
さて、これからは何をしようかな。
多楽器主義
ところで今回の演奏会では、トランペットに加えて、フリューゲルホルン、コルネット、クラリネットと4つの楽器を演奏しました。
トランペットと似た大きさのマウスピースを持つ、フリューゲルとコルネットはいいのだけど、クラリネットはやはり壁が大きかったですね。
3か月ぐらいではあったけど、社会人ながら週に4回ぐらい練習を積んだことで、なかなか吹けるようになったんじゃないかと思う。
やっぱり速指はスムーズにいかないところも多いけど、音は一人前に出せるようになった。
もうちょっとうまくなりたいと思ったら、いろんな調の速指メインのエチュードでもこなせば、1年あればみんなに追いつけるんと違うかな…というところまではきました。
これからも続けるかどうかは、少し悩み中。
やるなら借りていた楽器を返して、自分のを買わなくては。
今回は両方とも一定のレベル以上で演奏できたので、みんなから責められることはなかったけれども、やはり吹奏楽というのはマルチプレイヤーに対して良く思われない環境が根強いように思います。
うちのサークルでは、下記の持ち替えはが頻繁に行われます。
トランペット:フリューゲルホルン、コルネット、ピッコロトランペット
フルート:ピッコロ
サックス族:全部(バリトン以外のことが多い)
全パート:ピアノ、マラカスなどのパーカッション
基本的に「特殊管」との持ち替えは許容とされていて、「曲によってはそのパートがない場合がある」パートが「特殊管」と呼ばれるような感じがします。
なので、ジャズではよく見かける「サックス:フルート」の持ち替えや、マウスピースを同じくする「トロンボーン:ユーフォニアム」の持ち替えなんかはほとんど見ない。
やろうと思えば、「クラリネット:サックス」や「トランペット:ホルン」なんかも問題なくできると思うのに。
特殊管以外の持ち替えは、禁忌というか、はしたないというか、いろんな感情があるのではないかと感じています。
一つには、プレーヤー自身が「本職の調子を崩すのではないか」と心配しているのはあると思います。
それはきっと、崩す人と崩さない人がいるんでしょう。
他には、やはり慣習というか、浮気というか、極めてナンボというか、そんな感じの「ほかの楽器をやるのは何となく歓迎できない空気」みたいなものがあるんじゃないかと思っています。
でも俺は、いろんな楽器をやるのは別に悪いことだとは思わない。
その結果、総合的に見てプラスならやればいい。
誰でもできることだとは思わないけど、やりたいと思う人がどんどんできる環境ができればな、と思う。
そして、今回その皮切りにみんなが自由に考え出してくれれば嬉しいですね。
「トランペット:ホルン」のような許容遷移でなく、「トランペット:クラリネット」という禁制遷移を先陣切ってやって見せたのだから。
みんなが「俺でもできるんじゃね」って思ってくれればな。
「多楽器主義者」ではないけれども、慣習に縛られない、自由な音楽ができることを願います。
いよいよ明日が定期演奏会
6月からは、毎週末ずっと楽器の練習をしていました。
明日のために。
OB吹奏楽団と名前は付いていますが、現役の頃から参加し続けてもう9年目。
またこの季節がやってきた、と思うのと同時に、終わりが近づいてくるのを寂しく感じたりもします。
毎年自分の立場も変わっていき、今年は6年ぶりに演奏者という立場のみで参加します。
トランペットの方は楽曲も難しくないので、今年は大人な演奏を心がけてまたひとつ、成長する事が出来そうです。
そして今年はもう一つ、クラリネットでも参加しています。
5曲はトランペットで残りの4曲がクラリネット。
6月末に楽器を借りてから、平日でも2時間とか時間を割いて練習してきました。
こっちのほうはなんだか、この歳にして初めての発表会的な緊張感を味わえそうです。
どんどん新しい事に挑戦して、成長していきたい。
同じ「OBバンド吹奏楽団定期演奏会」という枠組みの中で、毎年自分と向き合えるいいタイミングです。
よし、頑張ってくるか。
和音の音程と数学
日記?を再開してから2か月ぐらいが経ちましたが、なんだか最近は日記というか、ブログの記事みたいになってきています。
数年間日記を書いていなかったおかげで、書きたかったことが溜まっていて、それをまとめて放出しているうちにこんなことに…
しかし最近では、ネタが尽きかけているせいか、遅筆になってきました。
まあ、マイペースに書こうとは思っているのですが、2日に一回更新しよう、と心の中で考えていたのも途切れそうです。
…とここまで言い訳をしたところで、大学時代に書いたコラムを見つけてきました。
和音の音程について、長調の第三音を下げ目に取る理由について考えたものです。
サークル内の配布物に寄稿しましたが、こっちのネタにもなるかなーと。
ネタ切れ感が凄いですね。
まあいいや。
それでは、始まり始まり~
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今回は理工学部っぽい感じで、みんなの嫌いな数学の話をしたいと思います。時間があれば読んでみてください。
音とは空気の振動、空気が造る細かい波です。1秒間に空気が回振動するとき、「周波数が Hzである」と言います。皆さんお馴染みのA=442Hzでチューニングというのは、チューニングBの半音下のAの音が442Hzである、ということです。
ここで、ある周波数[Hz]の音1と、この倍の周波数[Hz](=[Hz])の音2があったとします。このとき、「音2は音1より1オクターブ高い」といいます。勘のいい人はわかると思いますが、周波数が4倍になると2オクターブ高くなります。8倍だと3オクターブです。つまり、オクターブ違う2つの音の周波数、[Hz]と[Hz]の関係は下のようになります。2のn乗となりますね! これぐらいわからないと大学には入れません。
昔の偉い人は、オクターブを1200等分したものを1centとする、と決めました。
つまり、cent違う音の周波数の関係を上の式と同じようにつくると、下のようになります。
上の式と比べると、1200cent違うと1オクターブ違うというのがすぐわかりますね。ちなみに、オクターブを12等分した100centというのが、平均律でいうところの「半音」になります。
例を考えてみましょう。A=442Hzでチューニングをしている時、チューニングBの音の周波数はいくつになるでしょうか?
上の式のxには、BはAより半音高いので100 centを、A1には442Hzを代入すると、下のように求まります。
すなわち、
ここで、次からの話題のために、皆さん高校の時に数学ⅡBで習ったlogの知識を使って上の式を下のように書き換えておきます。
話題は変わりまして、和音の話になります。周波数の比が綺麗な整数比になる時に、綺麗な和音ができあがります。
その中でも簡単な整数比、4:5:6を考えてみましょう。それぞれの周波数を、、とおきます。これが最も有名な三和音、長三和音となります。誰もが知っている、ドミソの和音です。
まず、ドとミの関係を見てみましょう。に、にをさっきの式に代入してみます。
平均律ではドとミは半音4つ分、つまり400 centになります。もうお気づきですよね? 三音が普段13.7 cent低くして演奏しなさいと言われる理由はここにあります。
次にドとソの関係を見てみます。上と同じように4fと6fを用いて計算すると、702.0 centとなります。平均律では半音7つ分である700centに対して2cent高いのがすぐにわかるでしょう。これは結構小さいので無視していいと思います、たぶん。
まとめると、centというのは周波数比により、純正律は計算で求められるということです。
ちなみに純正律では周波数比が、1:1を完全1度、1:2を完全8度(オクターブ)、2:3を完全5度、3:4を完全4度、4:5を長3度、5:6を短3度としています。これを使って、短調の3度がどれだけ音程を変えなくてはならないのか計算してみるのも良いでしょう。
また代表的な4和音として属七の和音(ドミソシ♭)がありますが、この和音に対する解釈の一つとして、周波数比4:5:6:7という属7度音程があります。これは計算してみると-31.2centとなるんですね。でも、属7度は純正律ではそうなりません。どういうことがいいたいかというと、この周波数比に関する知識は万能じゃないってことですね。あくまで、「解釈の一つ」として考えてもらうといいと思います。
他にも周波数が2倍、3倍…となっていく「倍音」があります。トランペットでは下のBが第2倍音なので、解放でリップスラーをして考えてみてくださいな。トランペットはもともとBを基音とする純正律の楽器です。だから、「この音は高く(低く)なりやすい」っていうのがあるんですね。
もっと知りたい人は、インターネットを使ってみるのも良いと思いますが、僕に聞いてくれればそこらの音大生よりは語れると思います。
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…と、昔の俺は言っていた。
Blast! Music of Disney
3週間ほど前、ブラストを観に行ってきました。
ブラストは一言でいえば、アメリカのサーカス的マーチングバンドです。
アメリカって、スクールバンドでマーチングやっている印象があって、フットボールとかのハーフタイムに演奏したりするんですよね。
たぶんですけど、そこで鍛えられた精鋭が集まったところかな、と思ってます。
金管楽器や打楽器を持った人が吹きながら動き、バトンを持った人がバトンを投げて踊る。そんなステージです。
特に、金管楽器のビッグバンドのような激しいサウンドと、曲芸のような超絶パーカッションが売りなんじゃないかと思っています。
聴いて凄い、観て楽しい。
ブロードウェイをはじめ、世界中で公演をしている集団です。
高校生の頃に行ったことがあるんですが、今回は演目が変わる、ということでいの一番にチケットを購入していってきました。
そう、今回はディズニーとコラボレーションする、ということで非常に期待度が高かったです。
少し話は変わりますが、吹奏楽部とディズニーって相性いい気がしますね。
ディズニー音楽がブラスセクションを多用した楽曲が多い、というだけでなく、音楽と演出をコラボレーションさせる、というのが高校吹奏楽部の演奏会の演出を思い起こさせるからでしょうか。
まあそんなこんなで、今回は国際フォーラム ホールC。
初日に押さえただけあってあって、7列目と好席位置。
ディズニーの世界観はどこまで入れてくるのか、と期待しながら開演を待ちます。
始まったのは、ファンタジアのような世界。
無言劇のような、主人公(背が高いフルーティスト)が演奏しながらいろんな音楽を奏でていきます。
曲もファンタジアで使われた曲が何曲かありました。
そして、相変わらずのドラムの超絶技巧。
スネアだけのはずなのに、見ていて何をやっているのかよくわからない。
素晴らしい演奏技術とエンターテインメント性でした。
中間の休憩では、ロビーでフラッシュモブ?
というか、みんな休憩時間になったら我先にとロビーに向かっていたのでみんな知ってたんでしょうね…
サプライズではなく定番なのかもしれませんが、本気のお遊びといった感じのエンターテインメントでした。
後半はディズニー映画の曲が使われて、前半のファンタジアとは少し雰囲気が変わりました。
全体感としては、そんなにディズニーの世界観を中心に作りこんだ、というよりも、ブラストの世界観にディズニーの音楽をのせた、という感じ。
ミッキーを思い起こさせるような曲は少なかったですね。
やはりエンターテインメントはこうでないと、と思わせるショウでした。
吹奏楽やクラシックの演奏会って、結構みんな表情が暗いんですよね。
いや、真面目で真剣なのは伝わってくるんだけど、楽しそうな曲なら楽しそうに演奏してほしいよね。
観ていても楽しくさせる、やっぱりブラストは素晴らしかったです。
でもね、でもね…
ディズニー×マーチングと言えば、やっぱり最初にこれが頭に浮かんじゃうわけで。
Future Corpsは、アメリカのディズニーワールドに昔いた、伝説的な集団です。
ブラストよりも小規模ですが、かなり近い楽器構成です。
しかし彼ら、キチガイじみた演奏をします。
超絶ハイトーンに代表されますが、どんだけ吹けるんだ、と今見ても驚愕します。
これと比べちゃ駄目なのはわかってるけど、これが見てみたかったんだよ…
ドラムはこれに近いぐらい驚愕の演奏をするブラストなんだから、トランぺッターもこういうの揃えてほしいな(笑)
また来年もブラスト来るみたいですよー
トランペットを吹くときに最も大切にしていること
楽器を演奏するときに、ゆるぎない指針があるとそれだけで上達が早くなるのではないかと思っています。
それは、人によって大きく違うところと思いますが、例えば一つの教本だったり、誰か尊敬するトランぺッターだったりすると思っています。
俺にもそれは一つあって、自分の好きなトランぺッターの語録がそれにあたります。
自分が最も好きなトランペット吹きは二人いて、故ロルフ・スメドヴィック氏と故アドルフ・ハーセス氏です。
ロルフ・スメドヴィックは金管五重奏エムパイヤ・ブラスのトランぺッターです。
自分が初めて聞いた金5の音源であり、あの時の衝撃は忘れられません。
クラリネットを吹いているようなスムーズなハイトーンの速指が、よく聞くとトランペットだった。
殆どのトランペットって、音色や音程にクセがあるため、なんの音をなに管で吹いているか、聞けばだいたいわかるんですよ。
でも彼のトランペットだけはなんの音かわからなかった。
完璧な音程。完璧な技術。
あそこまで人間離れした精緻なトランぺッターは他に知りません。
はあはあ…(*´Д`)
しまった、興奮して話がそれてしまった。
そうではなく、今回はもう一人の方。
故アドルフ・ハーセス氏です。
この人は半世紀以上にわたって、かのシカゴ交響楽団で首席奏者を務めあげた最強のトランぺッターです。
伝説は枚挙にいとまがありませんので割愛しますが、少し調べるだけでいくらでもヒットします。
このハーセス氏がいつかのレッスンで弟子に言ったものだと思いますが、それをメモしたものが自分のバイブルです。
ハーセス・レッスン・メモ*1
メモはティム・ケントが巨匠、アドルフ・ハーセスとのレッスン中にとられました。
- 練習セッションとすべての演奏
- すべての音域とボリュームでロングトーンの練習をしなさい。
- シングル・タンギングのスピードとダブルおよびトリプル・タンギングのスピードをオーバーラップさせてください。
- ソルフェージュ - 視唱 - オーケストラからの抜粋と練習曲をマウスピースでバジングしなさい。
- 美しくそしてありのままのふさわしい時があります- 両方を使用しなさい。
- サウンドはあなたがあれこれをどのように行うかの基準です。
- メロディ(旋律)を演奏することは非常に重要です。技術的なパッセージでさえもトーン(音)の重要性を知ってください。
- 高音域の曲を演奏をするのに練習のためにさらに高いノートからピック・オフ(むしり取る)してください。
- 覚えていて下さい。 - 不安定な高音域はノートをヒットするという気を緩めることが原因です- むしろ塊をテイク(取り)しそしてブローします。それが素晴らしくなるただ一つの方法です。あなたがすべてのノートで気を緩めれば耐久性が失われ、そして全体的なサウンドは吐き気を覚えるようなものになります。
- 一貫させなさい、そして決して練習してはいけません。何時もパフォームしなさい。
- 演奏する場合身体にどんな緊張も持ってはいけません、常にリラックスすることを学びなさい。
- スラーに賛成しません、そして実際どんなノートにも賛成しません。
- 45分だけの練習セッション、それがバドが行うことである。
- あなたのチョップスはどこも調子が悪くありません。あなたの心はそれらを台無しにしています。高音域は低音域よりフィジカル(肉体的)ではありません、それらが同じくらい容易であるべきであり同様に丁度良くサウンドするべきです。そのそのような問題を行なわないでください。この習慣は作り出され結局去るでしょう。しかしながら、この悪い習慣を取り除くために、1つの方法だけがあります。また、それは毎日演奏することにコンセプト(概念)を適用することです。
- すべてのレンジ(音域)で音程の合った良いサウンドさせるためにアルペジオを演奏し、そしてサウンドを聞いてください。
- バドは歌手が行うようにエクササイズを演奏します。
- すべての高音域のメカニックについて考えないでください、ただ演奏しそして聞いください。
- ノートが美しくサウンドしている場合は音程が合っています(逆もまたしかり) 。
- よいサウンドと同じラインに沿ってアプローチしてください。そうすればイントネーションはまたそこに来るでしょう。耳は仕事をすべて行うでしょう。
この語録のいいところは、精神的であいまいな部分と、実際の演奏に際した具体的な練習方法のどちらもがバランスよく書いてあることです。
メンタルもフィジカルも、その両方が大切ということです。トランペットという楽器においては特に。
そしてこれらの指摘は全てが重要ですね。全部のコメントで語れます。
その中でも、一番好きなことばがこれ。
「練習してはいけません。パフォームしなさい」
この言葉は、それまでロングトーンとかタンギングとか、メカニカルな基礎練をたくさんやってきた自分にとって非常に衝撃的でした。
performそのものの意味としては、「果たす」「演じる」「演奏する」等の意味があります。
「果たす、成し遂げる」というところから感じ取れるニュアンスとしては、どちらかというとプラスの意味があると思います。
自分の中でのパフォームの日本語訳は、「魅せる」です。
楽器を構えて、音を出し始めた瞬間から聞いている人のことを意識する。
それがただのウォームアップであっても、ロングトーンであっても、常に誰かを魅了できるような「音楽をする」こと。
たとえ、聴いている人が誰もいない部屋で吹くときでも。
これを考えるようになってから、自分の感覚が大きく変わったように感じます。
まず、すべてが音楽的になりました。
楽器を吹くことに技術的な要素を考えていたのが、楽器が音楽をするただの手段のひとつであることが理解できたというか。
そして、自分の出す音に心を込められるようになりました。
そうなると、楽器を吹くことへの集中力が上がりました。
特に技巧的に難しいところ、例えばハイトーン域での「音を当てなきゃ」という雑念とかね。
自分の楽器を演奏する際の、これからも大きな指針になり続けることは間違いないです。
最後に。
*1:KUNIOのホームぺージより引用、原文はHerseth lesson notes
吹奏楽部・吹奏楽サークルの男女比について考えてみる
大学で吹奏楽サークルに入って
そういえば10年前に大学に入学して、不思議に思ったことがあります。
それは、吹奏楽サークルの男女比がほぼ1:1だったこと。
中高は男子校で吹奏楽部に入ったから、男女比は10:0でした。
大学に入ると、きっと女性の方が多いんだろうと思って(こっそりとわくわくして)いたのですが、意外とそんなことはなかった。
時は経って、今はOBバンドにいますが、今でも男女比は1:1ぐらいをキープしています。
さらに年を取ってくると、男の方が多くなる…のかどうかは知りませんが、年齢によって男女比は変わっているのではないか?と思い、ちょっと考えてみることにしました。
小中高の吹奏楽における男女比
小学校にいた頃は、クラブ活動でマーチングバンドがありました。
確か、全員女の子だった。
しかも、女の子は半分以上は入ってたような気がします。
自分は歌を歌うのが好きで楽器にも少しだけ興味はあったけど、とても男が入れる場所ではなかったのを覚えています。
そして小学校で楽器をやっていた女の子の大半は、中学に入って吹奏楽部に入ったようでした。
一方、大学に入ってから久しぶりに開かれた小学校の同窓会では、女の子全員、中学か高校で吹奏楽部をやめてしまったようでした。
トランペットやってた子と話せるのも少し楽しみにしていただけに、その時は少し残念に感じました(笑)
加えて中高の吹奏楽部では、大学の友達に聞くと、やはり多くは女性が多いようでした。
男子校からするとそういった友達が羨ましくて根掘り葉掘りそのハーレム状態について質問するんですが、決まって「そんなにいいもんじゃないよ」と返されていました。
やはりでも、小中高では女性が多い、というのは間違っていないようです。
年代による男女比の変化
上記のことについて、実際のデータが欲しいと思って調べてみると、いくつか出てきます。
そして同時に、昔の吹奏楽部は逆で男ばかりだった、との話も出てきます。
それはいつ変わったのか。なぜ変わったのか。
時系列的な変化はいくつかの考察がされており、論文などもネットを通してみることができます。
詳細は論文を読んでもらえばいいと思いますが、簡単にまとめると下のような感じです。
- 日本の吹奏楽部は戦後、昭和20~30年(1940年代)から始まった。
- 1960年頃までは、ほとんどが男性で構成され、「吹奏楽=男のやるもの」だった。
- 1960年代に、「受験激化による男子の部活離れ」「ギターブーム」「東京オリンピックによる運動部ブーム」によって、男の吹奏楽部員が減っていった。
- 同時に、女子の高校進学率の上昇、男女の社会通念の希薄化により、女性の吹奏楽部員が増加した。
- 1970年にはほとんど男女比1:1になり、更に男女比の逆転が進む。現在では男女比はおよそ1:9になっている。
原因として挙がっているものはいずれも、さもありなんと頷きたくなるものばかりですが、その中でもロックによるギターブームは大きいんじゃないか、と思います。
1970年には1:1だった男女比が、なぜ1:9までに至ったかを考えると、やはり「男女の社会通念」の変化だと思います。
つまり、最初は「吹奏楽=男子のやるもの」だったのが、1970年に壊れてから現在までに、「吹奏楽=女子のやるもの」に再構築されたんじゃないでしょうか。
流れとしては、男女比が女性優位に傾いてくると、さらに男は恥ずかしくて吹奏楽部に入りにくくなる、という循環が続いた結果、ロックブームも相まって「男はギターで軽音楽、女は管楽器でクラシック」の模式図が定着していったんじゃないかと考えています。
ただ、これらの文献やネットの情報では、「年代による男女比の変化」に関する考察はされていても「年齢による男女比の変化」に言及されている情報はありませんでした。
中高では女子90%なのに、なぜ大学では50%ぐらいまで低下するんだろう…
年齢による男女比の変化
やはり少年少女にとって、「男はギターを嗜み、女は管楽器を嗜むもの」という概念が定着しているのではないかと思います。
少なくとも、俺を含めた数割の中学男子が、ロックに憧れてギターを手に取っています。
そして嗜みだからこそ、習い事としての水泳、ピアノや習字と同じように、成長とともにやらなくなる人が多いんじゃないか、と思いました。
幼いころにやっていた習い事は、大人になってもやっているとは限りません。
むしろ、やめてしまう人の方が多いんじゃないかと思います。
ギターも同じで、中学にギター買った友達のどれだけが今まで続けているか。
そしてここからがポイントですが、大学ぐらいになるとそういった「ライトにやっていたい層」が減り、結局男女比1:1というところに落ち着くんじゃないかと思っています。
つまり「何かに真面目に取り組もうと思ったときに、男女は関係ない」ということです。
社会通念的に「吹奏楽部は女がやるもの」となっている今では、女子は周りに流されて吹奏楽部に入るし、男子は恥ずかしくて吹奏楽部に入りません。
それが、「意外と面白くなかった・もう飽きた」と多くの女性が吹奏楽から離れ、「やっぱり音楽を続けていたい」と端から意識の高い男性が吹奏楽に残る。
結局残るのは「やっぱり音楽やりたい」と思っている人たち。
そしてその集まりが大学の吹奏楽サークル、という図式です。
ところでネットで見つけた情報で、興味深い内容がありました。
「コンクールなどが強い中高の吹奏楽部ほど、男女比が1:1に近く、逆に緩い吹奏楽部は、女性が多い傾向に強い」というものです。
確かに、と納得するところがあります。
周りの共学校を見渡すと、そういう傾向にあるような気がする。
統計はないし思い込みかもしれませんけど、それが事実と仮定して考察してみます。
軍楽隊に端を発する日本の吹奏楽界は、特に昔は軍隊式でスパルタな練習だったんじゃないでしょうか。
それだときっと、女性は入れなかったんじゃないかと思います。
そしてその名残はどこか今でも引きずっているところがあり、吹奏楽というと「文化部にして体育会系のようだ」と言われることもある、厳しい雰囲気があります。
強いところは、今でも軍楽隊要素が残っているところが多いんじゃないでしょうか。
熱血的指導、汗と涙、気合と根性。
コンクールに勝つために練習する。
そういうところだと、中高の少年少女であっても、上記した「やっぱり音楽やりたい」層しか生き残れない、とも考えられますかね。
うん、なんかすっきりした。
男はギター、女は管楽器。そんな社会通念の構図があるような気がします。
そしてそれは、年齢とともに変化して、大人になるごろには男女が均されることで、少なくとも吹奏楽サークルの男女比は中高のそれと変化する。
誰か、「コンクールなどが強い中高の吹奏楽部ほど、男女比が1:1に近く、逆に緩い吹奏楽部は、女性が多い傾向に強い」のかどうか統計を取ってくれないかなあ。
シネマ・コンサートという最上級の贅沢
シネマ・コンサート
先日の日記で、バック・トゥ・ザ・フューチャーのコンサートに行ってきた話をしました。
映画とシンクロさせながら演奏していて、見に行った時はそんなことをやるなんて知りもしなかったもんで、とんでもないことを思いつくもんだ、と非常に驚きました。
そして同時に、とても感動しました。
帰ってきて調べてみると、これは「シネマ・コンサート」というそうです。
アメリカでは数年前からやっているらしいですが、日本には2015年から本格上陸とのこと。
未体験。まったく新しい、ありそうでなかったエンターテインメント。
今、映画を見るうえでIMAXとか3Dとか、更には4Dとか色々とオプションがありますよね。
もはや「普通に」映画を見る時代ではなく、付加価値を付けて映画をみる時代になってきたとも言えます。
映画を見るのに1万円。そういうと非常に高額ですが、それに見合うだけの感動が自分にはありました。
そして前回、BTTFを見に行った時に発表されたインディ・ジョーンズと、パンフレットに挟まっていたタイタニックのシネマ・コンサートもチケットを取ったので、見てきました。
やはり、素晴らしかった。
タイタニック in Concert
4月10日。やはり国際フォーラム ホールAにて。
超有名映画のタイタニック、映画では2度ほど観たことありました。
レオナルド・ディカプリオの若かりし頃ってイメージが強いですね。
3時間近くある大作なので、演奏する方も疲れるんじゃないかなーって思いますが、まあ音楽は静かなイメージだし、むしろBGMないところも多いんじゃないか。
というところまでが予備知識。
ですが、見終わってみると、全然そんなことありませんでした。
この映画も、シネマ・コンサート向きだと思いました。
ケルト音楽
前回のバック・トゥ・ザ・フューチャーもそうだったんですが、シネマ・コンサートでは「映画の中の世界で流れる曲」についてはセリフと同様、録音を流すルールっぽいです。
ただし、今回のタイタニックでは例外がありました。
それが、ケルト音楽。
船の中でアイリッシュダンスを踊るシーンなど、幾つかの場面でケルト音楽が「映画の中で演奏されるシーン」がありましたが、これだけは実際に演奏していました。
確か、バグパイプ、アイリッシュフルート、フィドルの3人がソリストとしていたと思います。
なんで例外なのかなーと思ってよく映画を見ると、その理由がわかります。
主人公ジャックがアイルランド出身というのが大きいですが、タイタニック号そのものがアイルランド人のアメリカへの移民の話です。
その故郷の音楽として、象徴的に使われるのがケルト音楽なんですね。
特殊な楽器になりますが、3人だけオーケストラとは別のひな壇でスポットライトを浴びて演奏していて、映画の時代背景を強く感じさせてくれます。
歌
それからタイタニックでは、合唱、ソロヴォーカルもいました。
音楽でも声楽でオルガンのように聞かせるシーンがあって、これも素晴らしかったのですが、やはりタイタニックはセリーヌ・ディオンの「My Heart Will Go On」とケルティックウーマンの「You Raise Me Up」ですよ。
Celine Dion - My Heart Will Go On (Live) [HD]
Celtic Woman - You Raise Me Up (and Concert Closing, live at the Slane Castle)
当然本人ではないですが、これが生歌になると感動が数倍に膨れ上がります。
この2曲、曲だけで感動できるのに、映画付きとかもうね…
いやあ、感動しました。
3時間という長さを感じさせない、素晴らしいショーでした。
インディ・ジョーンズ in Concert
前回のバック・トゥ・ザ・フューチャーを見に行った日にインディ・ジョーンズとE.T.の発表、その夜に先行販売が始まりました。
1枚1万円近くと結構高額だったので、ちょっとビビッてインディ・ジョーンズだけ速攻で購入しました。
そのおかげもあり、なんと国際フォーラムホールAの、前から5列目。
こんなにいい席を取ったことってこれまでなかったので、かなり興奮しました。
オーケストラが近い!
前の方は表情まで見えます。
メインの曲は誰もが知っているレイダース・マーチですが、結構頻繁にテーマが使われるし、トランペット的においしいから聞いていて楽しかったです。
席が前過ぎてあまり見えなかったんですが、トランペットが8人ぐらい?とにかくたくさんいました。
確かに、音高いし連発しないといけないもんね…
大変そうだなとは思いましたが、完璧な演奏で満足できました。
そしてやはり、映画が盛り上がっているシーンでは音楽を聞き逃して悔しい思いも(笑)
しかし、その悔しさも含めて贅沢な悩みとして楽しむことができるのがいいところですね。
ちなみに、今年はジョン・ウィリアムズ・イヤーだそうで、彼がBGMを作曲した映画として今回はインディ・ジョーンズとE.T.のシネマ・コンサートを開催する、とのことでした。
彼は今84歳で還暦とかでもないので、何をもってジョン・ウィリアムズ・イヤーかはわかりませんが。
他にも、少し前ではハリー・ポッターのシネマ・コンサートのシリーズ第一弾もやっていたそうです。
しかし、ジョン・ウィリアムズと言えば、山ほど有名曲がありますよね。
ジョーズ、ジュラシック・パーク、スーパーマン。
きっと来年からもジョン・ウィリアムズ・イヤーは止まらないような気がします。
色々聞いてみたいですね。
…早くスター・ウォーズ来い!
と思っている人はきっとたくさんいるはず…!