トランペットのマウスピース遍歴を振り返る
先日、トランペットとコルネットのマウスピースを買いました。
(たぶん)11本目にあたるマウスピースですが、こうなった経緯について少し振り返ってみようと思います。
Bach 7C(13歳~)
誰でも最初に渡されるマウスピースです。
なんの疑問も持たない頃に吹いていたもので、Bachの中でもオールラウンダーモデルとして位置付けられているものです。
Bach 5C(14歳~)
吹奏楽部で楽器を吹いていると、ステップアップと称して重く、大きくなっていくのは往々にあることです。
木管楽器ならリードを硬く、金管楽器ならリム径を大きく、という具合に。
俺もその一人でした。
そろそろ7Cの次のステップ、ということで3Cと5Cを吹き比べて、差の少ない5Cを選びました。
Bach 3C(15歳~)
そして次のステップ。
もっと豊かな音が欲しい、良く鳴る大きなカップのマウスピース。
大辛のラーメンを制覇したら次は激辛を食べたくなるようなもの。
え、違う?
まあそんな感じで、このときは迷いなく3Cだけで5本ぐらい用意してもらって、違うような違わないような個体差の中から1本を選びました。
Bachメガトーン 1D(16歳~)
中学生から高校生になり、だんだん楽器が吹けるようになってくると、トランペットあるあるとしては高い音に憧れるようになります。
で、浅いマウスピースが気になってくる。
しかし浅いマウスピースはどうにも音が薄く、(吹奏楽的には)いい音色とはいい難い。
だから径がさらに大きい最大の1番で、浅いDカップを。
そしてメガトーンはバックボア(細い部分)も太いため、ものすごくたくさんの息が入ります。
高い音が出るのに、息が詰まらずたくさん入る!と感動し、これを買いました。
しかし、すぐに後悔して数か月で買い替えることになります。
ここが自分のマウスピース選びの折り返し地点。
ここまでは大きく、豊かに、散らかる方向に行ってたのが、ここからは小さくまとまる方向にシフトしていきます。
Bach 1 1/4C(16歳~)
メガトーン1Dを試奏していた時はあんなに良かったのに、いざ使っているとすごくいまいちでした。
リムが薄いうえに径が大きすぎて、すぐにバテる。
バックボアが太すぎて、音が開き汚くまとまらない。
試奏程度の味見ではよくわからない、ということが身に染みてわかりました。
そこで、リム径を小さくしてカップを深くした1 1/4Cにしました。
あとから知りましたが、結構オケなんかじゃ好んで使われるマウスピースだそうです。
Bach 1Cや1 1/2Cよりも落ち着いた音色があって、他のトランぺッターと合わせやすいことから選びました。
しかし、落ち着いていながらもかなり明るい音が出ます。3Cより明るい音になっているけれども、1Cほど暴れることがない、コントローラブルなマウスピースでした。
Bach 2C(GP)(19歳~)
大学に入って吹奏楽サークルに入ると、高校の時と雰囲気が違うことに気が付きます。
男女いるからか、全体の雰囲気かはわかりませんが、高校の時と比較して大学の方が音が良く混ざっています。悪く言えば個性や主張が弱い。
そんな環境の中では、1 1/4Cは少し浮く、という認識になってきたため、更におとなしい方向にもっていくことにしました。
ここで選んだBach 2Cは、まさに3Cと1 1/4Cの間という感じ。明るすぎず、明るくなさすぎず。
そしてこのときは金メッキ(ゴールドプレート、GP)も比較してみたんですが、GPの方が明るさを保ったまま、まろやかさが足された感じ。
これだ!と思って、2Cを即買いしました。
自分にとっては非常にいいマウスピースでした。
10年使ったし、先日別のを買ったけど、ソロとかオケなら今でも2Cを使いたいですね。
Bach 5C(29歳~)
そして先日買ったのが5C。
中学生の時に買ったはずなんですが、全く見当たらず結局新しく購入しました。
今ではOBバンドが吹奏楽の主戦場ですが、更にみんなが落ち着いた(体力が落ちた?)気がします。
なんか、2Cでも浮いているような気がする…
また、自分の価値観が変わったのも大きいです。
これまでは、自分らしい、トランペットらしい音色を第一に考えていました。
空高くからどこまでも遠くへ鳴り響く輝かしい音色。イメージはオレンジ~黄色~銀色。
全ての楽器の一段上にいるような、主人公的な、支配的な、そんなイメージでした。
それが最近では、音色の溶け込みへの重視が年々強くなっているように感じています。
明るさを残しつつ、まろやかでいて耳触りのいい音色。
力強く芯のある、気高いファンファーレと、女性の指のようなしなやかさを使い分けたい。
そう思って、もっとまろやかな音色を出せるマウスピースを考えました。
やはり小さいリム径。
3CはUカップのキャラクターが強く、どうしても底抜けの明るさが2Cと近いものを感じさせました。
その点5C。
まろやかさが足されつつも、明るさが残る、しなやかな音色になりました。
しかも、リム径が小さい分、体力も長持ちしやすい。
2Cと比較して、音量、高い音の出やすさ、跳躍のコントロール性は犠牲になりましたが、正直今の自分にはそこは少し余分に持っていると思っていたので、少しぐらいの犠牲は構いませんでした。
思えば、これまでオールラウンダーと口酸っぱく書いてきた割に、結構オケよりなマウスピースを使っていたと思います。
より吹奏楽らしいオールラウンダーな、バランスの取れた音に近づいたんじゃないでしょうか。
明るさは少し抑えて、大人な音になったと思います。
他にもトランペットやコルネットのマウスピースはいくつか持っているので、またまとめてみようと思います。
今年も出ますよOB吹奏楽団
2年前に幹部を引退して、今年は割と自由なプレーヤーとして伸び伸びと参加しています。
特にストレスもなく、強いて言うならみんなもっと練習して来ようよ…って思ってるぐらいです。
バンドやってると(ビッグバンドも含め)、みんなしっかり練習してくるのが普通なんですよ。
楽譜ないことも多いし、音を耳コピしてこないと練習にならないしね。
吹奏楽なんかは楽譜があるし、みんなその場でできるようにするのが普通なのかな…
いざ合わせよう!ってなった時に、「え。楽譜のこの部分ってどうなってんの?」って聞いてくるのは吹奏楽吹きぐらいなもんです。
…まあそれはさておき、今年も演奏会にでます!
自分にとって、この楽団は大学1年から休まず続けているので、10回目の演奏会になります。
一曲目、オープニング曲でどソロがあります。
オリンピックのOP曲です。これは緊張。
それから今回、実はクラリネットも吹きます。
どうやら今年は、クラリネットが足りないと騒いでいます。このままじゃ演奏会の開催も危ないよ、と。
しかしよく見てみると、みんな参加曲数は半分もない。
もっとたくさん吹けばいいのに?なぜ?
大学のころから思ってたんですけど、クラリネットってだいたい羊の群れですよね。
自分の音が聞こえづらいからでしょうか、主張も少ない気がします。
じゃあ俺が吹くよ、と。
雰囲気変えてやろうか、と。
(ちょっとやってみたかったし…)
ということで、7月からクラリネット始めました。
演奏会までには何とかなりそうです。
異例のトランペット・クラリネット持ち替え選手です。
これは、吹奏楽ではほとんどいないのでは…?
大谷翔平目指して頑張ります、オッス!
ということで、見に来てくださいね~!
音楽でのオールラウンダーへの道
吹奏楽の特殊性
以前の日記でオールラウンダーって書いてましたが、またその話です。
俺は、常に芯(重心)のあるオールラウンダーでありたいと思っています。
趣味の芯は、音楽。
演奏ジャンルとしての芯は、吹奏楽。
楽器としての芯は、トランペット。
これを初めて意識したのは高校の時で、実践したのは大学の時だと思います。
高校の吹奏楽の顧問が「吹奏楽は特殊なジャンルだ」と言ってました。
吹奏楽曲って、カバー曲多いんですよ。
もともと吹奏楽のために書かれた曲しかやらない吹奏楽団って全くと言っていいほどないと思います。
オーケストラ曲の吹奏楽アレンジ版、J-ポップの吹奏楽アレンジ版、ビッグバンドの吹奏楽版などなど。
「だから、吹奏楽吹きはなんでも吹けないといけないんだ」
それが、顧問の言葉でした。
はっとしました。
じゃー、オケとジャズもやらんとな、と。
で、大学では両方のサークルをやりました。
実際に同じ楽器でも、だいぶ違うんですよ。
音の出し方、切り方、周りとの合わせ方。
すごーく勉強になったので、吹奏楽吹きはみんなやった方がいいと思う。
客観視のために必要なこと
「吹奏楽吹きはオールラウンダーでなければならない」という概念は、大学にいるときに拡張されました。
「吹奏楽とは何かを知るためには、吹奏楽以外を学ばなくてはならない」へ。
そしてさらに拡張して、「物事の本質を知るためには、それ以外を学ばなくてはならない」へとなりました。
そう思ったとき、トランペットの演奏ジャンルに留まらず、いろいろな事をやるようになりました。
音楽なら、様々な楽器への挑戦。
勉強なら、複数の研究室へ行くこと。ジャンルを変えること。
趣味なら、文化系でなく体育会系もやってみること。
そうして今の自分がある気がします。
サックスを買う
ということでですね、社会人になって金銭的に余裕がでてきて、何か別の楽器をやろう!と思うようになりました。
もともと、トランペットとギターができる。
ドラムは…一応高校生の時に文化祭に出てる。
じゃあ何だろう?
中低音楽器がいいな。
この辺かな。
でも金管はラッパで間に合ってるので、ボーン、ユーフォ以外がいいかな。
テナーサックスかチェロ。
どっちもカッコイイ。
でもって、やるなら人前で演奏してみたい。
吹奏楽って保守的で、自分の専門楽器以外では基本的に参加させてくれない雰囲気があります。
「そんなんやる暇があったらトランペット練習しろ!」っていわれそうですね。
オーケストラもなんだか敷居高そう…
じゃあ、バンド系?
オーケストラも敷居高そうだしな…
ということで、テナーサックスをやることにしました。
でもテナーサックスって高いんですよ。
普通に吹奏楽部の人が使うのって40万円ぐらい。
安く買えるところは、と探すと出てくるのはやはり中古かオークション。
e-bayで目星をつけて、購入しました。
CONNのテナーサックス、5万円で落札。
や、安い…!
割とメジャーなブランドなのに。
ということで社会人になった2012年の秋、テナーサックスがアメリカから宅急便で送られてきました。
買ってからは、週一ぐらいで公民館で3時間ぐらい練習。
当時住んでた寮の近くは、いつも公民館の音楽室が空いてました。3時間300円。安っ!
最初はまともに音も出ませんでしたが、だんだんと吹けるようになりました。
2013年には、バンドでライブにも出ました。
しかも、有名ジャズナンバー、テイクファイブ。
運指が難しかったですが、ちゃんと吹けました☆
…ってあたりで満足して、最近は全然吹いてません(笑)
またそのうち引っ張り出してきて吹こうかな!
さらなる挑戦は続く
結婚した時に、妻がうちに電子ピアノを持ってきたので弾いてます。
ピアノはできるようになりたい!
音楽家は、やはりピアノの演奏スキルが必要と思います。
音楽全体、つまりメロディーと伴奏を一人で演奏するというのは、全体把握に必ず役立つはず。
和音進行の理解にもいいそうですね。
ということで、2015年からは初心者向けのエチュードを引いています。
スケールは弾けないけど、練習した曲ならできるようにはなりました。
もっと自在に弾けるようになりたいけど、難しいなあ。
そして、最近ではまた別の楽器も始めたりして…
またこれは別の日記で書きます。
2012年 OB吹奏楽団の団長になる
トピックのひとつめはここから。
2012年~2014年にかけては、良くも悪くもこれが自分の生活の中心だったと思います。
恐らく、日記を書かなくなったのもOBバンドがあったからだと思います。
2009年 OB吹奏楽団の幹部になる
思い返すと、大学1年からずっとOB吹奏楽団で演奏してきて、現役の代表をやった直後の大学4年(2009年)に幹部見習いとして総務になったのが最初でした。
その時の幹部陣はみんな10歳ぐらい上ぐらいで、楽団を設立して10年近く運営を続けてきた方々が頑張っていました。
5年以上、後を託せる人を探して幹部として運営を続けていたそうです。
そこで、俺と俺の一つ上の代の現役サークルの幹部に声がかかったわけです。
こいつらはずっとOB吹奏楽団に参加しているし、やる気もあるから託せるだろう、と。
現役サークルの代表を引退した直後に、飲み会に誘われたのを覚えています。
酒が回って気が大きくなっているところに、初代団長から「お前ら、OB吹奏楽団の幹部をやらねえか。お前らにしかできないんだ!」とアツく語られ、なんだかんだでやる気になって引き受けたのを覚えています。
これがすべての始まりでした。
最初は幹部見習いとして、10歳ぐらい年上の幹部陣と一緒に仕事を一年やりました。
学生だった自分からすれば、現役とは全く違うスタイルの「社会人らしい」楽団の運営をズバズバとこなす彼らは非常に優秀に見えました。
いや、今でも実際非常に優秀なのですが、学生から見るとメールで仕事を次々と処理し、タスク管理を続けていく姿は異質で、何より勉強になりました。
学生サークルって、みんなすぐに顔を合わせて話すからメールなんてあまり使わないし、そもそも係の引継ぎとか仕事とかきちんと回っていたんでサークル代表の仕事なんてあんまりなかったんですよね。
みんなの前で叱咤激励して、たくさんお酒を飲んで背中で語れ!って感じの存在なんですよ。
それに比べて、社会人の団体はほとんど顔を合わせることもなく、引継ぎどころか仕事が分担されていない状況でした。
具体的には、練習場の確保、指揮者の先生たちとの調整、演奏会当日のタイムテーブル作成、会計処理、パンフレットやチラシの作成、印刷等々…
細かくそれらを管理して、振れる仕事は頼んでいく。
スケジュールから遅れていたら連絡をして現状確認。
社会人になった今で考えればどれも普通のことですが、学生にとっては驚きと勉強の連続でした。
そして一年の下積みを経て、大学4年(2010年)には一つ上の先輩(元現役サークル代表)が団長になりました。
自分も本格的に総務へ。実務は多かったですが、団長に大きく助けてもらい、時に優しく注意されたりもしながら仕事してました。
この団長もアツい人で、彼が団長だった時には、彼の同期がたくさんいたんじゃないでしょうか。
非常に頑張る人で、お調子者っぽさもありつつ、積極的に仕事をしていく人でした。
この年も勉強になったなあ。あの人と一緒にできたことは素晴らしい経験になりました。
大変な仕事は団長が全部やってくれていたおかげで、自分たちはあまりストレスを感じることなく幹部をやることができていました。この年までは。
2011年 OB吹奏楽団の副団長という名の団長代理になる
翌年の大学院に入った時(2011年)は副団長になりました。
まあ、団長と仕事が大きく分かれていないので、名前も似たようなのにしようとかそんな感じだったかなと覚えています。
この年に、総務は一人入れ替わり、一つ上の先輩から一つ下の後輩へバトンタッチされました。
ただし、2011年のOB吹奏楽団の主活動期間(5~9月)を前にして、団長が長野への異動と職場の激務により団長の仕事はもとより、楽団への参加も難しくなってしまいました。
最初は、長野から新幹線で来てくれたりしていたのですが、休日にも仕事が入り、平日も真夜中にメールが来るようになり…
結局、OB吹奏楽団とは以降疎遠となってしまいました。
今でも仲良しですけどね。
そんなわけで、団長代理としてこの年からOBバンドで大変な責任を負っていくこととなります。
もともと自分の担当だった仕事に加えて、それまで団長がやってくれていた仕事も背負うことに。分担しきれなかった。
この頃から、特に吹奏楽団の活動期間中の、日記の更新が止まることになります。
常にパソコンを開くと楽団の仕事が溜まっている状態。
返さないといけないメール、作らないといけない資料。
正直恐ろしくてパソコンを開きたくない。
それらを抱えたままで、誰かが見ているかわからない日記を書けなかった。
「日記なんて書く前に、やることがあるだろ!」と心の中の誰かがいつも言ってました。
楽団の運営は大変でした。
特に、指揮者の調整が…
なかなか激情家の指揮者で、火が付くとめっちゃ長文のお怒りメールがくる。
ただ意見を感情でぶつけてくるだけのメールなのに、「わかりました」みたいな返事するとより燃え上がる。
鎮火が非常にエネルギーを使う作業でした(返事を書くだけで2時間とか、幹部内での相談も含めればそれ以上)。
活動期間中はもうやめたい、としか思っていませんでした。
しかもやればやるほど団員からも「もっとちゃんとやれ」と叩かれるし、正直優しくすればつけあがり、厳しくすれば不満を言う、そんな声に辟易していたのも事実です(みんながそうというわけではない)。
でも演奏会が終わり、準備期間に入ると辛さは少し忘れ、それなりに夢も膨らんで、次も頑張ろう、と。
この後はその繰り返し。
2012年 OB吹奏楽団の団長になる
2代目の団長がいなくなったことで、正式に自分が団長になりました。
このとき、総務として俺の2つ下の後輩1人を、演奏面での監督チームとして年の離れた先輩方が新規参入しました。
相変わらず指揮者との調整は大変。
音楽リーダーとの調整も、難しいこともありました。運営の幹部として、音楽チームとぶつかることも多く、先輩たちだけにぶつかるのが非常に大変。
幹部の中では結束が強まっていきましたが、2つ下の後輩はこの年のみで幹部を引退しました。
そして、俺の同期に声をかけ、強く勧誘したら一緒に幹部をやってくれることになりました。
この翌年から2年間(2013~2014)が、自分がOB吹奏楽団をやってきた中で最高の幹部チームで仕事ができた、完成形になりました。
運営幹部3人は仲が良く、話も飲みも、本当に長い時を一緒にしました。
意見がぶつかり合っていた音楽幹部の先輩方とも、結束が強まり、幹部としての結束は非常に強かったと思います。このメンバーは、今でも「盟友」と思います。
2013年に運営体制が(自分の中では)完全体になってからは、開き直りました。
「何を言っても文句言われるんだから、人の文句は聞かない」
もう、俺様政治ですよ。ついてこられる奴だけついて来い、というものです。
年々増え続けるOBと、甘えた輩が多かったために方針を変えました。
対価をもらってやる仕事ならね、やりたくないこともやりますよ。
でもね、吹奏楽団の団長は仕事じゃなくて、趣味だ。甘えた団員にストレスをかけられるのはもうまっぴら!という状態になったんですね。
みんながそうあってほしいと思う楽団ではなく、自分が団長をやりたい楽団にしたかった。
そうでもしないと、団長を続けるモチベーションは保てなかった。
フォローしてくれる仲間はいても、団長を代わってくれる人はいなかった。
正直「俺のやり方が嫌なら自分でやってみやがれ!」って感じ。
こう思ってからは、少しは気持ちが前向きになりました。
相変わらず、パソコンを開くと仕事が溜まっていることは多かったし、指揮者とのもめ事も、他のもめ事もあって大変ではあったけれども。
そうそう、そういえば、現役サークルの会長とも揉めたなあ。
ちょうど現役サークルで未成年飲酒やコールが禁止された時期で、それをOBにも徹底させられた挙句、飲み会でコールが発生してしまいましてね。
なんか謝罪会見(?)みたいのとか、今思えば滑稽なほどに真面目に対応しましたね。
あれ、めっちゃ苦痛だったなあ。
そんなもめ事も多かったですが、吹奏楽団として音楽を追及することに前向きになれたため、幹部陣でいろいろなことにチャレンジしました。
大変ではあったけれども、とてもいい演奏会になりました。
いちプレイヤーとしても、久しぶりに感動できて。
演奏会が終わった後は毎回「ああ、ようやくしんどいのが終わった」と思っていたのが、
初めて、団長やってて良かったと思えた。
2014年 OB吹奏楽団の団長を引退する
2013年も、幹部はやめようと思って公募をかけたりもしました。
根回しとして、後輩を飲みに誘って勧誘もたくさんしたけど、結局誰もやってくれる人はいなかった。
幹部はみんな限界だった。
勧誘もし尽した。
2014年は、自分たちが今年で引退することをはじめに団員に伝えました。
そのうえで、団が存続できなくなっても構わないというつもりで、次期幹部を公募しました。
幹部ではみんなで、ここまで言っても誰も出なかったら、楽団は活動停止だよね、という話もしました。
楽団を作ってくれた初代団長とも相談して、結局この結論に至りました。
そして、自分たちにとって幹部最後の演奏会を「やりたいことを全部やる、やるなら覚悟を決めて、責任は全部とる」というコンセプトにしました。
逆に言うなら、「自分たちが責任をとれる演奏会を作る」ことだった。
すなわち、演奏プログラムを幹部の独断で決めることでした。
いやー、選曲がめちゃくちゃ楽しかった。
普段なら、アンケート取って、パートリーダーとか集めて、反対意見が少ない曲になるんですよ。
超逆。
笑ってしまうぐらいの超難曲ぞろい。
選曲しながら「こんな演奏会二度とお目にかかれないよね」なんて笑いながら決めていきました。
簡単に言うと、コース料理で前菜からデザートまで全部メイン料理みたいのが出てくるコース(笑)
普段なら、メインでもってくる大曲「ドラゴンの年」を一オープニング曲に、吹奏楽の最有名曲「ホルスト:吹奏楽のための第一組曲」、吹奏楽での最難曲と言われる「華麗なる舞曲」が第一部。
自分たちの好みだけをつなぎ合わせた、ミュージカルメドレーが第二部。
組曲「火の鳥」と「1812年序曲」が第三部となる構成。
アンコールもやたら難しい「ウエストサイドストーリーよりマンボ」。
この曲に決めた時、自分たちでやっておきながら背中が震えましたよ。
「こんなのできんのか」「もしできなかったらどうする」「むしろもしできちゃったらどうする」「団員ついてくんのかな」
団員は苦労したと思いますが、演奏会として形にはなったかと思います。
多くの人にとって成功だったかどうかはわからない。けれども、少なくとも自分はやりきることができた。
モチベーションも何とか保てた。
幹部として6年間、特に団長として3年間、本当につらかったし、何度もやめたいと思った。
多くのやりたいことを犠牲にしたし、失ったものもあるだろう。
でも、その分大きなものを得た。
つらく苦しかったのも今ではいい思い出。
もうやりたくないけどね。
そして、楽団も活動停止にならず、幹部を引き受けてくれる人もいました。
彼らも頑張ってくれているので、今度はサポートする側に回り、自分が大変だと思ったことを支えようと思います。
現役の演奏会を聴きに行ってきた
12月24日は現役の演奏会でした。
4年生が引退となる定期演奏会で、みんな気合が入ってるのがよくわかった。
特に4年生が最後というのが自分にとってはとても感慨深くて。
今の4年生が、自分が3年生の時の1年生なんです。
自分が1年生だった時の3年生は今でも特別なように、3年生の時の1年生もまた特別なんです。
幹部学年をやっていたときに入ってきた人達だからだろうか。
自分にとって子供のような存在だったし、何かと手塩にかけた気はする。
そんな人たちが、少し見ぬ間にもう卒業とは。
立派に4年生になって、みんな楽器も上達して、卒業していく。
「あいつも立派になったなあ」という気持ちがとても心に染みました。
3年生もいつの間にか幹部をやっていて。
彼らは4年の時の1年だから、もう孫ですよ、孫。
あんまりたくさん話したわけではないけれども、それでも可愛がりましたよ。
そんな彼らももうみんなをまとめてる立場なわけで。
ああ、嫌だなあ。
こうして回想していると、自分も年をとったと実感せざるを得ない。
まだまだ心は高校生ぐらいで止まってるのに(笑)
来年もまた感動しに行こう。
OBバンド(6〜9月)
今年は副団長やってました。
5年目にして、ようやく責任を楽しめるようになってきて。
自分にとって、久しぶりに「音楽できた!!」って感じの演奏会にすることができました。
OBバンドって5コ下ぐらいから15コ上ぐらいまでいて。
更に100人ぐらいいて、パート間のバランスも悪かったりして、その辺の調整がとても大変でした。
特に俺は上にあまり強く言えない性格というか、どうしてもその人の気持ちを考えて他人に甘くなるタイプなようで。
悪く言うと「事なかれ主義」というか。
人数も多くて、その中で一つの目標に向かおうとすると、なかなかそれでは成り立たなくなってくるものです。
現役の時からずっと、「やる気があるけど練習に来れない人をどうするのか」「上手な人は練習あまりしなくてもいいのか」「上手い人ばかりがソロを吹くのはどうなのか」なんて問題は変わってません。
OBになって変わったなーと思うのは、みんなそれを「仕組み」に落としたがる事かな。
ロジカルシンキングだっけ?なんだったか知らんが、改善すべき点があったらそれを実行するシステムを作る、みたいなの。
まー大人の世界って感じで「なるほど」とは思ったけど、俺は好きじゃないなあ。
みんな趣味で好きで集まってるんだし、団員を枷で縛っても面白くなくね?
俺は「みんなで頑張ろうぜ!楽してたってつまんねだろ?」って言い続けてれば変わると思ってる。
そうやってモチベーションとか内側を上げていく方向に持っていく方が、根本的な解決に繋がると信じてます。
…って10コ上の先輩に飲み会で言ったら、「お前ってピーターパンみたいだな。夢ばっか言ってる(笑)おまえはそれを貫けばいいと思うけど」って言われました。
結構なことです。
褒め言葉として受け取っておきました。
来年からは俺も社会人。
音楽との付き合い方とかも変化していくのだろうか。
定期演奏会
先日、現役の演奏会を聴きに行ってきました。
もうOBも二年目になって、段々現役が把握できなくなってきてる…
なかなか学生らしい、勢いのある演奏だったのではないでしょうか。
正直細かいパッセージとかが全然あってなくてびっくりしたけど、よく考えてみたら練習短かったんだよなあ。
震災の影響で4月が休みだったから、実際は5月から練習してたらしいですね。
もともと6月の定期って2か月しかないところを、半分で頑張ったとみれば、それはすごいことだ。
演奏の質は冬に期待。
そして我がトランペットパートももっと頑張れるはず。
それからやっぱりね、終演後のいろんな人のスピーチですよ。
代表なり、パートのみんなだったり。
「ああ、現役ってアツい」なんて思った俺は冷めてるんでしょうかね(笑)
現役のウインドっていうのは、特に事務的な面がかなりシステマチックになっているおかげで、仕事という仕事で苦労することはあんまりないんですよね。
だから、常に本質だけ見ていられるというか。
今では他の事もいつも頭の半分ぐらいを占めていて、段々本質からずれてしまうこともある…気がする。
そんな風にならない現役が少しうらやましかったです。
演奏会の終了後は同期で飲んでいたんですが、そこからノリで現役のコンパに突入することに。
全然行く気なかったけど、ああいうの断れないんだよなあ。
翌日にOBバンドの初回練が控えてたしね。
それにも関らず、結局ラーメン食って、着替えを買って、コンパに参戦してきました。
今のパートはだいぶ大人しくなってて、黙って見てるつもりが積極的に参加してしまった…
…。
書くのめんどくさくなってきたから、続きはまた今度(笑)